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ミステリ創作(?)教室のクレージーでブルージーな日々の記録
by eimu00
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少年老いやすく……

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禁! 無断転用
# by eimu00 | 2005-04-30 09:26 | 講師ひとり言その他

先月分の課題回答 積み残し

 忘れていたわけではなく。
 区分けの番号を振っただけで、順序入れ替えはやっていない。
 削除部分の説明は不要だろう。
 講師は再三再四「調べたものをそのまま流しこむべからず」と言っているのだが、作者の耳には「べしべしべし」の励ましにすら(?)に聞こえてしまっているようだ。
 わしゃ、もう、知らん。
 あと紋切り型の気になるところにシルシをつけた。○ではなく(もちろん)×だ。



「柿本人麻呂の謎」殺人事件      井上 一三

①  柿本朝臣人麿、石見国に在りて臨死らむとする時、自ら傷みて作る歌一首
 鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
                     (巻二、二二三番)
  柿本朝臣人麿の死りし時、妻依羅娘子の作る歌二首
今日今日とわが待つ君は石川の貝に交じりてありといはずやも
(巻二、二二四番)
 直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ
(巻二、二二五番)
  丹比真人名をもらせり柿本朝臣人麿の意に擬へて報ふる歌一首
荒波に寄りくる玉を枕に置きわれここにありと誰か告げなむ
(巻二、二二六番)
  或る本の歌に曰く
天離る夷の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし
(巻二、二二七番)
  右の一首の歌、作者いまだ詳らかならず。但し、古本、この歌をもちてこの次に載す


    1 プロローグ

② 今年は例年になく雪の多い年である。ここ二、三日晴れ間が続いたと思ったら、午前九時頃から降り始めた雪が三十㌢も降り積もっていた。
 岩根正人は川本警察署刑事課所属の刑事である。玄関前の雪掻きを終えて午前十一時半にはデスクに戻った。すぐに電話が鳴った。
「ハイ、刑事課」
 岩根が応えると、
「邑智町交番の石島ですが、今、湯抱温泉の赤井旅館から、客が亡くなっているとの通報がありました」
 戸惑ったような、緊張した声が、受話器の向こうから伝わってきた。
「赤井旅館だって!」
 岩根は声を荒げた。それは柿本人麻呂終焉の地を定めた齋藤茂吉が泊まった旅館であった。
「そうなんです……こんな時期ですから、客なんかいないと思っていたんですが、二日前から宿泊していた客が、亡くなったそうなんです」

③ 石島という巡査が、電話の向こうでオロオロしている。邑智郡の中心地である川本署でも、事件なんかほとんどない。ましてや邑智町の交番勤務ではなかなか事件なんかにぶつかることはない。それほど平穏なところであった。それが突然、人が亡くなったというのだ。
「病気で亡くなったのかね?」
 岩根は若い巡査をからかうように訊いた。
「ちがいますよ!」
 あわてたような声が返ってきた。
「殺人かね?」
 岩根は、こんどは力をこめて言った。
「それは捜査の結果でしょうが……病気でも、事故でもないんです。私も駆けつけますが、すぐに応援を寄越してください」
 そう言って電話が切れた。
 岩根はすぐに係長・課長に報告し、先輩刑事の太田警部補とパトカーで現場に向かった。鑑識課員もワンボックスカーで続いている。

④ 幹線道路は川本町から石見町のほうへ向かう道と、江ノ川沿いに南下する道に別れる。岩根たちは江の川に沿って邑智町に進んだ。道はすでに役場の担当者によって雪掻きが終わっていた。湯抱温泉に到着し、赤井旅館に行く道は雪に埋まっていた。チェーンを巻いたパトカーは何事もなく到着した。パトカーを道路に停めて、太田警部補と一緒に門をくぐった。古いが柱や梁の太い、がっしりとした門である。敷地はほぼ正方形である。門から正面の玄関までは二十㍍くらいあった。庭には松や銀杏の大木が数本そびえている。玄関で旅館の女将らしき女性と話しているのが、電話をしてきた石島巡査らしい。

⑤ 純白の雪の上には二種類の足跡が門から玄関まで続いている。一つは小さな足跡であった。もう一つは、それから離れてついている。旅館の中で客が亡くなっているようだから、この足跡は重要な証拠になるだろう。太田警部補が鑑識のキャップに何かささやいている。

    2

⑥ 鑑識課員たちは、門と玄関だけではなく、玄関を通らずに建物へ出入りできそうな場所は全部調査した。門から玄関に続いている足跡については、型が取られ、足跡がつけられた時間も調べられた。足跡の深さも正確に計測され、足跡の持ち主の体重が計算された。

⑦ 岩根は太田警部補や鑑識課員とともに、二階の客間に向かった。死体は窓際に置かれたソファに倒れていた。客はコーヒーを飲んでいたらしい。手から落ちたカップが畳の上に転がっていた。
 鑑識課員が男性客の死亡を確認した。
「どこにも外傷はありません」
「首はどうだ?」
 太田警部補が尋ねた。
「索溝も手で締められた痕もないですね」
 鑑識課員が上着の襟をずらして、首筋を見えるようにした。
「毒物を飲んでいる可能性が強いと思われます。ほんのわずかですが、この口元に、吐いたと見られる跡があります。このアーモンドのような匂いからすると、青酸性の毒物かもしれませんね」
 鑑識課員の声に岩根はドキッとした。青酸カリがコーヒーの中に入っていたようである。
「死亡推定時刻はどうかね?」
 太田警部補が質問した。
「詳しくは行政解剖の結果によりますが……午前十時から十一時の間ではないでしょうか」
 鑑識課員が言葉を選びながら言った。
「自殺か、他殺か……」
 太田警部補が眉間にしわを寄せた。

⑧ それから、太田警部補と岩根は階下に降りていった。
 玄関を上がったところにある小さな事務室で、女将から事情を聞いた。
 赤井旅館はこの女将が一人で切り盛りをしているそうである。主人は邑智町役場に出ているそうだ。中学生と小学生の子供がいるが今日は学校である。冬の間は客はほとんどないのだが、この亡くなった客は二月十一日から三泊している。
「一人だったのですか?」
 岩根が聞くと、
「いえ、もう一人の方とご一緒でした」
 女将が答えた。
「なんだって!」
 太田警部補が大きな声を出した。二人で宿泊していたのだ。その相手はどこにいるのだろう。
「その人物は?」
 太田警部補がいきおいこんで聞いた。
「私は川本町まで買い物をするために、午前八時頃出たのですが、鈴木さんは一人で調べモノがあるということで、私より十分くらい早く出てゆきました」
 同室の人物は、鈴木宗太という名前らしい。亡くなったのは渡辺浩一という名前で泊まっていた。宿泊カードから、二人とも京洛大学の学生だと判明した。すぐに岩根から、京洛大学に連絡を入れた。

⑨ 鑑識課員からの報告によれば、門から玄関に続いていた足跡は女将のモノと分かった。。女将は買い物のために、雪が降り始める前の午前八時に旅館を出たらしい。そして、戻ったときには一面雪に埋まっていた。門から玄関に続いている足跡がそのときのモノであった。もう一つの足跡は交番から駆けつけた石島巡査の足跡と判明した。

    3

⑩ 午後二時を過ぎて、同室の鈴木宗太という学生が赤井旅館に戻ってきた。警察官がおおぜい詰めかけているのを見て、目を丸くしている。太田警部補と岩根の二人で、鈴木から話を一階の事務室で聞くことにした。
「鈴木宗太さんですね?」
 太田警部補が名前を確認した。
「ハイ」
「ご職業は?」
「京洛大学の院生です」
「学生さんですか?」
「そうです……もっとも、四月からは社会人となりますが」
 鈴木宗太は誇らしげに言った。
「そうですか、ご一緒に見えていた渡辺さんも同じですか?」
 太田警部補は「見えていた」と過去形を使った。それに鈴木は反応したように、みるみる顔面を蒼白にした
「渡辺くんも、一応そのようです……ところで刑事さん。一体何があったんですか?」
 鈴木宗太が不審な表情のまま質問をした。
「あなたと同室の渡辺さんが、お亡くなりになったんです」
 太田警部補が鈴木の表情を観察するように告げた。
「エッ! なんですって!」

⑪ 突然、鈴木が立ち上がって、大仰な身振りで驚きを見せた。
「渡辺くんが、殺されたのですか?」
 鈴木は目を血走らせて叫んだ。
「自殺か他殺か、まだ分かりません」
 太田警部補が冷静に答えた。その返事を聞いて鈴木宗太は、戸惑ったような表情になり椅子に腰をおろした。
「自殺の可能性もあると思っています。鈴木さんのほうで何か思いあたることはございませんか?」
 太田警部補が、ていねいな言葉でたずねた。
「……そうですねぇ……実は、自分たち二人は三月で博士課程の後期課程を修了するのです」
「するとお二人とも博士ですか?」
 岩根がそばから質問をした。
「いや、博士課程を修了するというだけで、すぐに学位を取れるわけではありません」
「そうですか、学者の道もなかなか大変のようですね?」
 岩根は同情するように言った。
「ええ……渡辺くんも私も、研究テーマが『柿本人麻呂』なのです。論文の詰めの調査にここへやってきたのです。このあとは益田市へ足をのばして最後の調べものをする予定になっていました」
 しゃべっているうちに、ようやく鈴木宗太の顔に赤味がさしてきた。

    4

⑫ わが国において柿本人麻呂と松尾芭蕉の二人の詩人が、歌聖、俳聖とたたえられている。芭蕉については、ほぼ、その人生の全貌が知られている。辞世の「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」という句は、彼の生活と芸術の到達点を表わしている。
 柿本人麿の場合は、万葉集に数多く残されている歌によって人々の心をとらえるが、その人生は明確ではない。
「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ」
この歌には「柿本朝臣人麿、石見国に在りて臨死らむとする時、自ら傷みて作る歌一首」という詞書がつけられている。
 この辞世の歌によれば、人麿が石見国の鴨山で死んだことはたしかである。『日本古典文学大系』(岩波書店)の「万葉集一」の注に、次のようにある。
「鴨山―古来異説が多く、高角山(高い、都野の地にある山の意か。江津市の島星山との説がある)と同じ所という説や、島根県江津市神村説、同県浜田市旧城山の亀山説、同県邑智郡邑智町亀説などがあり、奈良県の葛城連山の中とする見解もある」
柿本朝臣人麿の死りし時、妻依羅娘子の作る歌二首
「今日今日とわが待つ君は石川の貝に交じりてありといはずやも」
「直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ」
 この歌には「石川」という川が出てくる。それゆえ、人麿は、石川という川の近くの鴨山で死んだことになる。『日本古典文学大系』(岩波書店)の「万葉集一」の注には、
「石川―未詳。島根県邑智郡邑智町浜原・亀・粕淵付近より川本町に至る江の川のことか。鴨山を大和の葛城連山のうちとする説では、その西麓を流れる河内国の石川(大和川の支流で、河内長野市・富田林市・中河内郡を北流)と見る」
 といっている。
 鴨山の地について多くの説が出てきたのは徳川末期以後である。それ以前は、誰もが鴨山の地を疑わなかった。それは、今の益田市の鴨山、高津川の流域にあり万寿三年(一〇二六年)の大津波で水没した鴨島が、人麿の終焉の地であるという説が一般に信じられていた。その説がはじめて文献に見えるのは、文安五年(一四四八年)ころできたといわれる歌論書『正徹物語』であるが、それ以前にも、その地が人麿終焉の地と信じられていた形跡がある。少なくとも、他の地が人麿終焉の地と信じられた形跡はない。

    5

⑬「齋藤茂吉がこの湯抱の地を、『人麻呂終焉の地』と定めたのですよね?」
 岩根が鈴木に言うと、太田警部補が怪訝な顔をした。刑事畑一筋の先輩刑事としては、そのようなことには一切無関係だという顔をしている。
「よくご存知ですね!」
 鈴木宗太が嬉しそうに応じた。
「そりゃあ、ここは石見の地元ですからね」
 岩根としては、当たり前だというように返した。
「鴨山」の所在は諸説紛々定まるところがないといってよい。齋藤茂吉は昭和五年から同一二年までに五回実地踏査をして、はじめ邑智郡粕淵の津目山と結論したのを、のち粕淵村役場の土地台帳によって邑智郡邑智町大字湯抱小字鴨山を発見し、現、湯抱温泉西北一㌔の鴨山(高さ、三六〇㍍)を『人麿がつひのいのちををはりたる鴨山の地をここと定めん』と断定し、昭和二八年には温泉にほど近い鴨山の見える丘に茂吉の碑を立てて、鴨山公園ができあがった。
 このように。当代随一の詩人と当代第一の万葉学者の権威によって、湯抱の鴨山が人麿の終焉の地として定められた。昭文社発行の日本地図、島根県の部では、湯抱の地にはっきり柿本人麿終焉の地と書かれている。


⑭「さきほど四月から社会人になると申しあげましたが、私のほうは教授に認められていまして、助手として採用されることに決まっています」
 鈴木宗太は顔を紅潮させて言った。岩根にはその状況がよく理解できないが、よほど晴れがましいことのようである。
「ところが亡くなった渡辺くんも、助手になるのが希望だったようですが、なにしろ枠が決まっているものですから……」
 鈴木宗太は気の毒そうに告げた。
「渡辺さんは、助手にはなれないんですか?」
 岩根が聞いた。
「そうなんです……といって他の就職口も、まだ、決まっていませんでしたから……」
 鈴木宗太は同僚のことを思ってか、沈痛な表情になった。
「それで、自殺の可能性もあるとお考えですか?」
 太田警部補は口を開いた。
「そうですねぇ……」
「そのような、けはいがありましたか?」
 ずっと二人はいっしょに行動していたのであるから、何か感じるものがあったかもしれない。
「特に口にするようなことはありませんでしたが、ときどき淋しそうな表情をすることがありましたね」
 鈴木宗太は亡くなった同僚を悼むように言った。
「そうですか……自殺の可能性もありかな……」
 太田警部補が腕を組み、目をつぶって思案を始めた。
「鈴木さん。渡辺さんは殺害された可能性も残されているのです。他殺であるとすれば、犯人に心あたりはありませんか?」
 岩根が口をはさむと、警部補が薄目を開けて鈴木の表情を窺っている。
「急にそう言われましても、私には見当がつきませんが……」
 鈴木宗太がドギマギしている

    6

⑮ 鈴木宗太からの事情聴取を終えた二人の刑事は、今日の午前中に赤井旅館に出入りした人間の目撃情報を求めて、周辺の聞き込みをした。
 川本警察署に「捜査本部」が設置され、松江の島根県警本部から捜査一課長を先頭におおぜいの刑事が乗り込んできた。
 夕方から開かれた捜査会議では、川本署の太田警部補が捜査状況の説明を行った。居並ぶお偉いさんを前にして、最初のところで警部補は緊張のあまり声がふるえていた。しかし、しばらくすると、いつもの調子にもどって落ち着いて話を進めはじめた。
「被害者・渡辺浩一が、殺害された可能性はほとんどございません」
 太田警部補が、断定するように言った。
「どうして?」
 捜査一課長が野太い声をあげた。
「田舎の習慣でしょうか、一階も二階もどこにもカギは掛かっていなかったのです」
 警部補の報告を聞いた刑事たちから、どよめきの声があがった。
「ところが旅館の建物全体が、今朝方から降った雪でスッポリ覆われていたのです」
 それを聞いて会議の出席者は息を呑んだ。

⑯「完全な『密室』というわけだな?」
 捜査一課長が確認をした。
「そうなのです。足跡は買い物から帰った女将のモノと、地元交番の石島巡査のモノと、二つしか認められませんでした」
 太田警部補が告げると、誰も声を発する者はいない。
「赤井旅館のは周囲には他の旅館も民家もありません。従って周囲の建物から梯子のようなものを架け渡して、移動するようなことは物理的に実行不可能です」
 警部補は被害者・渡辺浩一が倒れていた赤井旅館の環境について報告した。
「……」
 ひな壇に居並ぶ幹部も、参加している捜査員も、誰も声を出す者はいない。
「雪の上に足跡をつけることなく旅館に入り込む方法を、岩根刑事と共に考えて現場を調べました」
 警部補が岩根の名前を出した。
「岩根くん、何か見つかったかね?」
 捜査一課長から質問された。
「ハイ……門と旅館の間にワイヤーを張って、ロープウェイのようにして移動できないかと考えました」

⑰ 岩根が答えると、捜査一課長が身を乗り出して言った。
「オッ! それはいい発想だね!」
「そこで、門と旅館の建物を念入りに調査しました」
「どうだった?」
 捜査一課長は、せっかちに答えを要求した。
「門に使われている太い柱と、旅館の建物に使われている柱に針金を巻いたような痕を見つけました」
「そうか、それはでかしたぞ!」
 捜査一課長は、犯人を捕まえたような喜びをあらわした。
「門の柱の痕は一カ所でしたが、建物の方の柱は一階部分と二階部分の二ヶ所に針金を巻いた痕がありました」
「そうか、すごいぞ岩根くん。それは、ロープウェイを往復させた証拠だね!」
 捜査一課長が手をうって喜んだとき、太田警部補がすぐに水をさした。
「一課長、ところがそれはちがっていたのです」
「どういうことだ?」
 捜査一課長は、とたんに不機嫌になった。
「女将に問いただしたところ、その痕は毎年、端午の節句に鯉のぼりをぶら下げるために、ワイヤーを張った跡だというのです」
 太田警部補が事情を説明した。場内はまた沈黙に覆われた。
「ではなぜ、母屋の柱は一階と二階部分に跡があるのだと聞くと」
 警部補の言葉に、捜査一課長の目が光った。
「鯉のぼりをぶら下げる時は二階部分にワイヤーを巻くが、干し柿やダイコンを吊るす時は一階部分にするというのです」
 太田警部補が、申しわけなさそうに言った。

⑱「では、やはり渡辺浩一は自殺ということか?」
 捜査一課長は力なく言った。
「どうもそのようです……」
 太田警部補も肩を落としている。その様子を見て岩根は、猛然とやる気が出てきた。
「一課長! 『渡辺浩一は、自殺をしてもおかしくはない』と言ったのは同僚の鈴木という学生です。念のため、京洛大学へ人を派遣して事実を調べさせてください!」
 岩根は大きな声で進言した。
「そうだな!」
 捜査一課長はすぐに県警から来ている捜査員を指名して京都へ出張させた。
「ところで鈴木宗太という人物は、今どこにいるんだ?」
 捜査一課長がたずねた。
「足どめをしたんですが、どうしても益田に行かなくてはならないと言うものですから許可しました」
 太田警部補が答えた。
「益田にいるんだな?」
「宿泊場所を聞いていますし、益田署の刑事課に事情を言って尾行してもらっています」

    7

⑲ 梅原猛氏は「水底の歌」で、次のように述べる。
―― 人麿の終焉地としてさまざまの伝承をもち、少なくともその痕跡を平安時代中頃にまでさかのぼらせることの出来る柿本神社と(益田市)高津の人々にとっては、はなはだ迷惑な事件であった。柿本神社の神主を中心にして、茂吉説への反論が用意されようとしていた。
 しかしながら、石見高津町(益田市)の有志、柿本神社社司、石見の歌人、石見の歴史家等は彼等の郷土愛ばかりか、彼等の真理の感覚が、この詩人の恣意的な主張に憤激したと思うが、いかんながら、彼等は茂吉説を破る論理と名声とをもたなかったのであった。
 雌伏三十年を経て矢富熊一郎氏は『柿本人麻呂と鴨山』成る本を書いた。矢富氏は長い間、益田の高等学校の教師をしておられ、地の利を利用してあちこち調べると共に、広く文献にあたって茂吉説の誤謬を知り、徹底的に茂吉説を切った。
「人麻呂当時の(邑智町)浜原は、江ノ川の洪水の度ごとに、浸水または冠水し荒れ放題に任された。氾濫原の段丘をなす浜の原であった。従って護岸工事が施され、人家が建った吉野朝以後においても、洪水に出くわすごとに、『浜原の尻洗い』(町の背後が洪水に浸食されること)を余儀なくされた、不安定な土地であった。況んや、人麻呂の当時は、主要交通路でも何でも無かった。浜原が交通路として、繁栄するようになったのは、江戸時代からであった」(柿本人麻呂と鴨山)
 鴨山はどこにあるか。古来から鴨山は(益田市)高津の沖合にあり、万寿三年の津波で水没したとされてきた。
 人麿を石見国の属官と断定したのは契沖であり、真淵であった。私の目の前にちらつき始めたのは流人としての人麿の姿である。人麿が流人とすると、この高津沖合の鴨島の地は、流人の住家に適当なところであるように思われる。なぜなら流人の住家は古来から多く島である。島というイメージが徳川時代の末まで犯罪者の流刑地であった。島帰りは現代におけるムショ帰りと同じ意味を持っていた。最高二十数㍍の低い島、讃岐の狭岑島に人麿がいるのを見た。その狭岑島を人麿は佐美の山と呼んだ。今、鴨山と人麿がいう鴨島も、狭岑島のように低い島であっても不思議はない。
 矢富熊一郎氏は「柿本人麻呂と鴨山」の中で、
「若し、万寿の断層地震に、六㍍落ちこんだものとすると、その後大陸の陥没が伴って、八㍍の沈降となり、万寿の当時には、約五㍍も水上に浮び上り、おの岩上に土を冠っていたものとすると、五㍍以上の高さを有する、島になりはしないかと思われる。しかも九百年前には、この島は海岸に接していたのである。この島の最高地点が、伝説の墓地をなす鴨山だった訳である」と述べている ――

    8

⑳ 自殺か他殺かで混乱していた「捜査本部」に、決定的な情報が持ち込まれた。川本町にある林野庁の出先機関から「盗難届」が出されたのである。それは木材の切り出しに使う「ワイヤー・滑車・ゴンドラ」が、二月十三日の日曜日に盗まれたというのだ。それは渡辺浩一が亡くなる前日のことである。
 湯抱温泉の付近一帯を地域のボランティアの協力を得て、大捜索隊が編成された。その結果、湯抱温泉の赤井旅館から百メートルほど離れた女良谷川から、盗まれた「ワイヤー・滑車・ゴンドラ」の一式が捨てられているのが発見された。

21 俄然、捜査本部は色めきたった。その夜行われた捜査会議では、京都から帰った捜査員から報告があった。
「亡くなった渡辺浩一氏の同僚である鈴木宗太が、『渡辺浩一は進路が未定だが、自分の方はこの四月から京洛大学の助手に採用された』と語ったそうだが、京洛大学に行って調べた結果は全くの逆であった。ところが、渡辺浩一があのようなことになったので、助手には鈴木宗太が採用されるようになったそうだ」
 その報告を受けた捜査一課長は、ただちに益田市にいる鈴木宗太に任意同行を求める手配を行った。

    9 エピローグ

22 捜査一課長の陣頭指揮による取調べを受けた鈴木宗太は、ついに自供した。
 それによれば、大学に助手として採用されたい鈴木宗太は担当教授や関係者に裏工作を続けたが、ことごとく失敗した。それほど、学問上の実力は渡辺浩一のほうが上回っていたそうである。
 そこで最後の手段として邑智町に調査に来た今回、渡辺浩一殺害を計画した。門と母屋の柱から、針金かワイヤーを巻きつけた跡を発見した。鈴木は女将から「鯉のぼり」や「干し柿・干し大根」を吊る話を聞きだしたそうだ。
 そして附近の森林から、「ワイヤー・滑車・ゴンドラ」一式を盗み出し、犯行に及んだのであった。
 雪によって「密室」になっていた今回の事件は、解決した。

                         (了)
# by eimu00 | 2005-04-22 09:16 | 課題および解答例

ワラをもつかむ一冊

 ワラをもつかむ一冊_b0042328_12182160.jpg ワラをもつかむこの一冊。
ワラをもつかむ一冊_b0042328_12184514.jpg中町信『天啓の殺意』
 これはなんていうか、タイトルが立派すぎますな。『散歩する死者』のままでもよかったような。







 クラス・リポートの今までのベストはこれかな
 あくまで一つのサンプル・ケースという意味。お手本にせよとは誤解・曲解・一人合点しないように。

 神は自らを助けようとしない人を助けることはない。
 創作の神サマでも同じ。
 ↑のいいかえ。↓
 地獄を見ない人には天国も見えない。

 先月の課題のもう一つがそのままになっていた。明日にまわす。
# by eimu00 | 2005-04-21 12:24 | 講師ひとり言その他

今月課題の注釈いくつか

 必要のない人は読まなくてもいい。
 課題は三層のレベルで設定されている。
 A 4.9講義録 従来のクラス・リポートにあたるもの 四枚から五枚(原稿用紙換算 以下同)
 B リポートを基盤にした創作 十枚
 C Bに想像力のヒネリを加えたオリジナル創作 二十枚

 Aは若葉マーク 新規の受講生および一部古参生徒で悪質なハムレット症候群に感染している者は、このコース
 BとCとは特に指定しない。各自、自己判断、自己責任で取り組む。

 これまでのクラス・リポートの問題点
 再説するが、半分以上が面白くない。それはなぜか。マイナス評価の理由は
 ① 自分がそこに参加してどうだったかという臨場感が欠けている。
 ② その結果として自分の文体で書けていない。
 ③ 予備知識のない者にどうやって読ませるかという配慮がない。
 自分の作品だという自覚をもってリポートは書くようにと再三いってきたつもりだったが、長く続けるうちに形骸化してしまったようだ。
 自分用のメモ、講義記録、ノートなどをつくるさい、それが自分以外の読者を想定していないのは当然だ。ところがそういう私的な覚え書きをそのまま客観性をよそおったリポートに流用していると思える例もあった。創作クラスの受講生の文章とはとても思えない無味乾燥な報告になっている。これはワーストだ。だれが何を言ったとか記録しても、それが人に読ませる価値があるのか、何かの役に立つのかどうか、再考するべきだろう。あまりに長いものは適宜カットしたことも事実だ。しかし短くしたって生気のないものは良くならないわけだ。

 プラス評価の理由はその逆になる。
 ① 自分がそこに参加して何を得たかを中心に書いている。
 ② 自分なりの文体を工夫している。
 ③ こういう教室があるのだと知らない読者にアピールする力を持つ。

 要するに、創作という営みが別個に、別次元に、特別にあるのではなく、何を書くにしても、創作志願者にとって、書くという行為は創作に飛躍する(あるいは、創作それ自体に一致する)べき契機を秘めている、ということ。


追記 せっかく早々とKさんから課題が送られてきましたが、気の毒ながら全面ボツです。きみの指定席はBです。「自分の観点から書く」ということと「私事をベタに書くこと」と混同しないように。勝手に低いハードルを設定するのは困ります。講座の内輪のメンバーにしかわからないネタなら、コメント欄にまわすこと。ゼンブ書き直してください。
 他の方も同様。こちらの見立てではBコースが大半ですが、たとえばYさんなら、Bコースでいくと必ず「結末積み残し」で提出するはずだから、ここはCコースに挑戦するしかない。ということです。
# by eimu00 | 2005-04-14 00:06 | 課題および解答例

春爛漫 四月九日の蛇足

 桜の満開とクラス開講とが重なる奇蹟の一年。
 吉祥寺行きのバスは花見客を満載して動かず、ふつうは20分で行くところを50分もかかる。満々たる講師の闘志はその間にかぎりなくゼロ近くまで低下し、教室に着く時には疲労困憊、立っているのがやっとという体たらくであった。
 とまれ目出度く開講。これを満開といわずして……。まあ、いいか。
 さまざまなシフト・チェンジを試みる。
 まずは、このブログの「読み方」を知らないと主張する約半数以上(!)の人たちのために小学生コースを五分ばかり。ブログランキングのアイコンを見つけられなかったというツワモノまで登場。いったいおれは過ぐる半年(最小限に見積もって)ナニを講義していたっていうのだ。日本語を喋ってたつもりなんだけどね。
 ほとんど酸欠の、ここをなんとか乗り切ると、お次は。
 コメントについて。To KAKIKO or not to KAKIKO と世界の苦悩を一手に引き受けたかのような出会い系コースみたいなご意見が百出。クォノー××××××女グゥアアアアアーーー、と溢れ出かけたセクハラ用語を必死に呑みこんで……。みんな悩んでオオキクなるってなもんじゃあるまいし。自己責任だよ。自民党じゃねえけど、思わず言いたくなるね。自己責任の意味を知ってるかね。

 小学生コースの補足
 サイドバー(これは右側にあったり、左側にあったり、時どき模様替えをする)をいちばん下までスクロールしてみよ。検索という小さなウインドウがある。そこにキミの名前を打ちこんでみよ。戸籍名、偽名、別名、ペンネーム、エイリアス。何でもよろし。クラスの古顔(ブニュエルの『昼顔』の洒落にはあらず)ほど沢山の記事がヒットしてくるはず。
 多ければ多いほど自慢になるかというと、まあ……いいよね。
# by eimu00 | 2005-04-10 09:46 | 講師ひとり言その他