リニューアルします |
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by eimu00
| 2005-10-10 10:38
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クラスリポート05.09.10 |
今期最終回(05/09/10)のクラスリポート 田上侑季 今回のまな板の上の鯉は、KU氏の力作長編(588枚) 「あしながおじさんへ」 前回「鯉」になった拙作を書き換えようと試みながらも、苦悩の真っ只中にいた私にとっては、とても学ぶことが多かった回だった。 講評を主軸に、私のそのときの感想も交え、リポートします。 間違いがあったら、どなたかフォローをお願いします。 少年事件を題材に、人が人を意図的に操ってしまえるとしたら……をメインテーマに書いたと、執筆者の言。 「三人称多視点」という叙述法を使用している。 その技法を体得していない私にとっては、未知の叙述法だ。 破綻せず、物語を完結させるには、非常に高度な技術だと、漠然とした印象を持っている私にとっては、二の足を踏んでしまう技法なのだ。 それを、見事にやり遂げた執筆者の技術の高さに、圧倒される。 しかし、講師によれば、この作品の場合、「三人称多視点」という技法は向いていないとのこと。そ、そうなのか~~。 さて、まず全体の印象から。 プラン通り書いていて、ストーリーが動いていない。密度が薄い印象だ。とのこと。 密度が薄い印象になってしまう原因は、どこにあるのか……。 それは、背景の書き込み不足(例えば、地名を1つ出したら、全て出すこと。4章の登場人物四人の位置関係。その土地が想像できるような、背景の書き込み)だからだ。 某作家のサイトで、ロケハンの話が記載されていたっけ。それに、基礎講座の際に、先生にも言われたよなあ~。 その土地に立ち、写真を撮り、地図を描く。室内も、想像の見取り図を描く。地道な作業は、面倒で大変だ。知っている土地だけに頼ってしまうのは、そろそろ卒業しようか。自戒を込めて聞いていた。 つづいて物語の細かい分析に入った。 1章から13章までの各章が、何ページ費やされ、そこに何が書かれているのか。 「人さまの作品を読み込む時には勿論、自分の作品を読み返すときにも、このぐらいの分析はしろよ。基礎講座の時にさんざん教えただろう」……勿論、講師の言葉は、もっとぐっと柔らかだったが……と講師に言われ、「そういわれれば……」と、すっかり忘れていた私は、首をすくめるしかなかった。 物語の要所、要所に「手紙」や「手記」が出てくる。 小説は、人と人との関わり合いを描くこと。人が関わり合いながら、手紙や手記に書かれ、まとめられている事柄を出していくことの重要性を、講師は説かれていた。 その他、人物相関図を基に、各登場人物の、物語へのアプローチの仕方なども話題になったのだが、ここの部分は、物語を書かないと巧く説明できないので割愛。 最後に、もし、この作品を書き換えるとしたら、前半(6章まで)だけで500枚にするように。前半を書き込むことで、現在の、無理してミステリ仕様にしている後半の展開が、変わってくるだろうとのこと。 参考図書:「皆殺しパーティ」天藤 真著(創元推理文庫) 今期最後の回ということで、先約のない有志6名と講師で打ち上げと称する飲み会へ。 映画の話やら、今年の「江戸川乱歩賞」作品の話から、様々な文学賞の話、著作権の話などで盛り上がった。このあたりの詳しい話については、来期の初回で、講師の先生から訊けることになるそうだ。お楽しみに。 2次会まで行き、ほろ酔いかげんで電車に乗った私は、「取り敢えず、各章の詳細な分析から手をつけることにしよう。その作業の途中で、きっと何かが見えてくるはずだ」と、講義を振り返りながら思った。 おわり |
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by eimu00
| 2005-09-12 09:49
| 05年度
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2005.08.16 |
2005.08.16 前回の、ブログサイト生徒作品公開ページについて、いくつか補足します。 当時を知っている方もいますが、事情がわからないメンバーが半分以上になっていますので、この機会にまとめておこうかと思います。 立ち上げに到るまでの取り組みの姿勢は、 「このページについて」 (2004.10.11のアップ)に書かれているとおりです。筆者は山屋敷氏。HPを開設するさいにも、技術面その他、たいへん尽力をいただいています。文面はホームページ本館から移行したものです。 基本的なところは今でも変わっていないはずです。 最初はこのラインで「セミナーページ」を設けて、作品は随時アップしていました。 合計14本アップ。ナンバー05から14まではこちらでもファイルの保存があります。それ以前に4本あるはずですが、手元にデータが残っていません。 クラスに提出された作品のうち、いちおう優秀作をセレクトしたものです。 このうち何作かは今のブログに移行したさい、一時的にアップしましたが、いくつかの理由から今は削除してあります。理由の一つは、何年も前の作品であることと、クラスを離れてしまった作者が多いということで、意味が薄かろうと判断したからです。もう一つは、分量の点です。いま使っている「エキサイト」は一回に送信できるデータ量がかぎられている(一回に八千字くらいがリミット)ため、ファイルを小分けにしなければならず、それだと非常に見苦しい状態だったためです。 ちなみに05txtは七個、06txtは五個、08txtは三個に分散した。以前のHPでは一つのファイルとしてまとめて読めたものです。 この点もあり、昨年から、ブログ創作欄は、みなさんへの課題からの短い(どちらかといえば習作めいた)作品を主体にアップする方向に切り替わっています。ご承知のとおり、レベルは基本的に問うていません。演習の素材にも流用するという意味では、むしろ未完成品でもかまわなかったわけです。こうしたものが創作ページを埋めていて、読者(?)にどんな印象を与えるものやら……。 まあ、それはともかく、課題提出に到った要因は別のところにもありました。本来、当クラスは、みなさんからの枚数規定ナシ自由提出作品に支えられて継続してきた。その建前がだんだんと崩れてきて、ご多分にもれず「改革」が強力に要請されたということです。それとクラス編成の問題も絡み、いろいろと思い悩むことでありました。 そこで、レベルを落とした習作を、期限つき枚数制限つきで強制する方針に切り替わった。失礼ながら意外な収穫もあり、必ずしも悪い方向には落ちこまなかったとわたしは思っています。 その成果は成果としてブログに残しておけるのは意味あることでしょう。自画自賛ではなく。 ただ方針がどうも一定していないのではないか、という悪印象も残るかなとも怖れます。 現在までの作品(自主提出にかぎっての自前の作品)の延べ点数は百五点ほど。長編もあり、短編もあり。決して自慢できない数量ではないと思います。 いまのポータルサイト環境だと、上に書いた制約によって、だいたい作品アップは分載になります。先月の加藤氏の作品でファイル七個です。端的に不細工で、なんとも申し訳ない気分になります。マイナス・イメージにならないかと心配もあります。 これは利用するブログサイトを引越しすれば解決する問題なのですが……。残念ながら、その作業にそそぎこむ時間の余裕が現在のわたしにはありません。 というふうなエクスキューズのみならず、ブログという媒体には一昨日書いたような著作権上のかなり深刻な(これからそうなるだろう)不透明領域があります。この点は、まあ、著作データをすべてデジタル変換し高速流通させてしまうインターネット社会総体の(いまは盲点となっている)マイナス面なのですが、問題を一挙に拡大してしまうと頭が混乱するだけなので、今はブログに限定して考えます。便利に使えるツールが困った事柄を視えないところでどんどん肥大させているわけです。あまり深みに嵌まるなよ、という警告ブザーがどこかで鳴っている。慎重な人なら避けて通ると思ったりもする。 しばし時間をいただきたい、というのが暫定的な結論です。 ホームページ立ち上げの時点で、ネット環境を有効に利用するという合意がクラス的には出来上がっていたように、こちらが早合点していたのかもしれませんね。 最近、乱歩大好き&窒息フェチ男の前上博が自分のホームページ上で犯行をシュミレートする創作を発表していたというニュースにちょっと衝撃をくらっています。もちろん警察情報丸投げを書いただけの新聞記事を通してですから、真に受けるのも半分がいいとこだとは思いますが、潜在的犯罪者が執拗に試み、しかし創作に昇華しきれず、昇華しきれない故にか興奮だけは後戻りできないほど高まって、ついに一線を超える――というのも、創作の本質的メカニズムなんですな。これは。犯罪ではなく、創作レベルの。 わたしの仕事は、こういう創作意欲を叱咤激励することでもあるわけで……。しかし、みなさんのうちから「第二の前上博」が出現して、講義=「殺人教唆」の罪に問われることがありませんようにと切に祈ります。 いや、話が脱線しているのではなく、「創作→発表」というサイクルはインターネット時代にあって、限りなく当たり前の環境となっている事実の好例としてあげただけです。 クラスの運営はもちろん合評&講評のライヴが基本でしょう。けれども、それに限界があるのなら、あるとすれば、クラスの一部がネットという外部に「開かれている状態」もまた必要なのでは?? それが、繰り返しますが、当初の取り組み姿勢です。 非常にはっきり申し上げてしまうと、サイトにアップされたからといって外からの反応はごくごくささやかにとどまっています。晴れがましいとか恥ずかしいとかいうのは、過剰な幻想ですな。 田上氏、作品内の歌詞引用の件ですが。わたしの意見は教室で言ったとおりで変更はありません。わたしの話したことは経験に則したものばかりなので、少し調べてみました。 下記の本が見つかりました。筆者は弁護士で、著作権法の実務的な本なのですが、かなり初歩的なところから説明してあります。要するに、無断引用とか違法の盗用とかにならないで済むルールを懇切丁寧に教えてくれているわけです。わたしがふつうは説明を省略するところまできちんと遡って書いてあります。 引用・転載の実務と著作権法 中央経済社 05.02 あの作品での引用は法律面からいってもマズイという専門職的見解も書かれています。引用する素材作品を一個の構造体とみて、百パーセント取りこむのはよろしくない、という判断が法律的にはあるようです。引用作品がたとえば俳句なら、一句十七字の百パーセントを引用しないのは不自然になるから、これは例外とみなされます。他のケースだと、部分引用なら著作権者の許諾なしでもかまわないという解釈になるかわり、百パーセント全体引用はともかく基本的に好ましくない、となるのです。多少、形式論理すぎるという気がしないでもないけれど、歌詞の場合も「初めから終わりまで」という使い方はチェックに引っかかってしまう可能性大らしいです。 |
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by eimu00
| 2005-08-16 08:51
| 講師ひとり言その他
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クラスリポート05.08.13 |
クラスリポート05/08/13 今回の合評の対象作品は①田上侑季さんの「婚姻を継続しがたい重大な理由」 (300枚)と②ロシアンブルーさんの「三毛猫」 (45枚)の二作品。 事前のわたし(木枯 狐)の感想の欠陥が、先生の指導や生徒諸氏の批評によってどのように改められたかをわがままリポートします。 先ず①。とりあえず一読し、その後いつものように詳細な人物の相関図を作った。そこにはプロフィールも必要に応じて書き込む。例えば浩介(師のネーミングでは納豆男)の妻美千子は買い物依存症など。また気になる一言「魔物が住んでいる」なども。 こうして納豆男が法律事務所に殴りこむところまで来た。法律事務所には防衛のこういう仕掛けがあるんだなどと感心しながら読む。そして解決編。由布子がなんだか申し訳ながっているが、なぜだろうと思った。 こうして書いた事前の感想は以下だった。 〇物語がよく流れて、章から章へ移る移りかたも自然だと思った。 〇物語はいつも最後が大事だが、納豆男が事務所に殴りこむアクション場面も物語を締めるという意味で効果的だと思った。 〇ヒロインは憲子だが、視点人物は二人で、物語の幅を広げている。そして不自然さがない。難しい試みなのに成功していると思った。 〇作者はこの作品である変身をしたのではないか。面白く読ませようと姿勢がでている。 といっても気になる点も多い。 〇物語を動かす謎が美しくない。ヒロインがかつて愛し、今も批判的に見ていない恭介は最低男で同情できない。その男が核心にいるので美しくないのだ。 〇法律事務所に殴りこむ納豆男も方向をまちがえている。相手は弟だろう。 〇プロローグは神社の鳥居みたいなもので、読者はそこをくぐって神殿に行く。振り返ったりもする。その場所に恭介がいるのがまちがいだ。 〇由布子が憲子を誘い込む理由も説得力に欠ける。 〇相模原で3人を見つける偶然もなんだかなあ。(以下数項目省略) 教室では先生から作者の勝負球だという前向きの評価がまずあった。 では、合評後の今の小生の感想は? 合評でわたしが最もショックを受けたのは、第二の視点人物由布子は、作者が読者にしかけたトリックだという指摘だった。しかしその場では理解できなかった。家でもう一度読んだ。そしてびっくりした。確かに、事務所にDV事件として相談に来た二ヶ月前の時点で木島家のドロドロ(師のこの表現、わかりやすい)についてすべてわかっていたのだ!だとするとわたしの後半の指摘は殆どすべて的外れということになる。 なお、この作品が作者にとって新境地を開く作品ではないか、という考えは変わっていない。(参考作品は 「ストーミーマンディ」牧村泉 新潮社) 次に②。先生から高い評価があった。猫の魔性を描いたホラーだとわたしは思った。文章には緊張感があり、熱気が伝わってくる。死体を埋めた竹薮に行くと竹の成長で死体が浮いていたというアイディアは優れていると思った。しかし恐怖を感じない。理由がわからなかったが、誰かがヒロインが行動するので恐怖はないと分析した。なるほどと思った。 先生から、この作品は性格が特別に悪い自惚れ女が次々にダメ男に捕まって破滅する物語だとのコメントがあったのに、目を見開かされた。 (参考作品は 「動物好きに捧げる殺人読本」パトリシア・ハイスミス 創元推理文庫) |
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by eimu00
| 2005-08-15 09:09
| 05年度
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2005.08.14 |
2005.08.14 Ku氏、やっとこちらのメッセージは届いたようです。何はともあれ、 当方は、先月、再三にわたってPCがダウン。メーラーに溜まっていた極秘データもすべて流失、じゃなかった消滅しました。 しばらく「宇宙の孤島」状態だったです。 ところで。 各新人賞応募規定には、未発表作品にかぎる、という項目が必ずあります。当サイトにアップすることが、この「既発表」に該当するのかどうかという点について、不明ながらわたし個人としてはあまり考慮したことがなかったわけです。気になるので、これは、近日中に確かめてみます。結果は連絡します。 最悪のケースを考えると、個人が運営するHPおよびブログも立派な媒体(つまり、紙に印刷されたものと同等に既発表とみなされる)であるとする見解は成り立ちます。拡大解釈のように感じますが、ネット上における著作権の問題などコンセンサスが出来上がっていない現状なので、極論の可能性も無視できないのです。この点、わたしの勉強不足もありますけれど……。 みなさんの作品に関しては、本名筆名にかかわらず、著作権は各個人に属します。ただそれは「野崎六助ホームページ製作委員会」というクッションを通して権利を主張するという形式になっています。こうした形式にしたのは、単純に、個人名で厳密にする作業が煩雑すぎるからです。もう一つ、講座の性格からして、みなさんご存知のとおり「出たり入ったり自由」のクラスなので、管理しにくいという理由も大きい。 しかし、ブログになると別の問題も生じています。正当な著作権が運営する個人ではなく、ページ作成を提供しているポータルサイトに属するからです。これもまあ、統一見解が出ているわけではない。当方の了解では、個人が雑誌・新聞などの媒体に発表した作品について、媒体の掲載権に縛られるのに近い、と受け取っています。ただこれは甘い認識かもしれません。 ブログ人口はいまや、ライブドア単体でも50万を超えていますから、出版とは別個の「巨大市場」でもあるわけです。「ブログに日記を書いて、本にしよう」という方向は、消費者のニーズを開拓しつつビジネスチャンスに喰らいつく各ベンチャーの戦略にもぴったりくるのか、激戦の様相を呈しています。 話がそれました。 ですから、最悪のさらに最悪というケースを想定してみると。みなさんが当ブログにアップしたことのある作品によって何かの賞に応募すると「二重投稿」とみなされる可能性が……なきにしもあらずなのです。これはまあ、ほとんど被害妄想に近い想定ですが、100パーセントありえないともいえないので、念のために書いておく次第です。 こうした点について、これまで説明不足があったかもしれません。説明の意気を阻喪させるような反応しか返ってこなかったからでもありますが……。 「既発表」の項目に該当するか否かという点については、こちらの責任もありますので、少し調べてみるつもりです。 講師記 |
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by eimu00
| 2005-08-14 09:22
| 講師ひとり言その他
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